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東京地方裁判所 昭和33年(合わ)34号 判決

被告人 甲

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収にかかる登山用ナイフ一丁(昭和三十三年証第三百九号)はこれを被害者鈴木徳之助に還付する。

訴訟費用はこれを被告人に負担させない。

理由

(被告人の経歴及び性格)

被告人は蒔絵師をしていた父川口欽一の次男として本籍地に生れ二才の頃実母に死別したため、間もなく欽一の後妻として迎えられたミヨの手によつて兄と共に養育されたが、太平洋戦争の激化に伴い父が応召し、次いで自宅を戦災により焼失して浦和市に疎開する等不安定な生活を送り、また継母ミヨが義理の仲を気がねして被告人に対して日常寛容な態度で接していたこともあつて被告人は我儘な性格を帯びるようになつた。終戦後復員した父は進駐軍築地貯炭所に勤務することとなり一家は現住居に移転して被告人も同所の幼稚園、小学校を経て新星中学校に入学したが、一家の収入は必ずしも十分でなく、かつ右のような家庭的事情にあつたことと、住宅地附近の環境とが相俟つて被告人は前示性格を助長し、強い自己顕示性を露呈するとともに不良交友関係に陥つて盗癖を固定化させるようになつた。被告人は昭和三十年三月に同中学校を卒業し、直ちに都立荏原職業補導所に入所して自動車の修理見習をした後、品川区の扶桑内燃工業所に自動車修理工として雇われたが同年十二月会社が解散したため失業し、その後渋谷区の電気会社に工員として入つたものの間もなくこれを辞めて同三十一年六月頃から徒食し、世田谷区三軒茶屋附近の不良仲間に加わるようになり、同年九月強盗傷人、強盗未遂、窃盗、公務執行妨害等の非行により東京家庭裁判所の決定により中等少年院(茨城農芸学院)に送致されるに至つた。同三十二年十一月十四日被告人は同学院を仮退院したが、忽ち前示の不良交友関係を復活し同月二十六日判示第二の犯行を敢行し、その後世田谷区用賀町二丁目二百三番地の三和伸工機株式会社の鍍金工として働くようになつたところ、数日にして十二月二日には器物損壊、脅迫等の犯行により逮捕され、東京少年鑑別所に送致されたが、中等度の知能(I・Q・一〇五)を有するにかかわらず、強い意志欠如、即行性、気分易変性、自己顕示性、爆発性等の偏倚な性格傾向を帯びる被告人は同月十六日出所帰宅した後も依然素行を改めず、右の不良仲間の兄貴分となつて三軒茶屋附近を遊び歩いていた。

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十三年一月二日夜から三軒茶屋附近の旅館等を泊り歩き所持金も無くなつていたが、同月五日午後十時半頃から右不良仲間の友人佐々木正夫はじめ十数人と共に、同区三軒茶屋百六十五番地の飲屋「辰屋」こと石井辰次方において新年宴会を催し飲酒した後、同月六日零時半頃同店を出て佐々木外数名と共に同区太子堂町四百三十九番地先路上にさしかかつたところ酒に酔つた森美貴雄(当四十年)が「助けて呉れ、警察へ連れて行つて呉れ」と言いながら被告人等の方へ駈け寄り、その後に続いて「捕えて呉れ」と言つて二十四、五才の遊人風の男が追いかけて来るのに出会つたので、被告人は右森の右腕を掴えて捕え、佐々木は追いかけて来た男を止めて事情を聞くと「この野郎が店の中で金を見せびらかしてあばれていたから追いかけて来たが警察へやらないで呉れ」と言つて帰つてしまつたので、被告人は右森を助けたことを恩に着せ同人から酒代をたかり取ろうと考え、逃げようとする同人の腕をとつて附近の路地の方向に歩き出したところ、佐々木等も同様の考えから被告人と森の後を追い同町四百五十三番地路地先で両名を取囲むようにして立止つた。しかし、被告人は大勢でたかるよりは小数で金を出させた方が都合がよいと考え佐々木だけを残して他の者達を遠のけた上、森に対し「今助けてやつたのだから一杯飲まして呉れ」と言つたところ、同人は被告人等の行動に憤慨し掴えられている手を振り切り「お前等の顏をおぼえているぞ」等と言いながら被告人のしているマスクをはずし、次いで佐々木のマスクをも取つてその襟首を掴えたため佐々木に投げ飛ばされて仰向けに倒れたが、被告人は森が被告人等の申出に応ぜず却つて反抗したことにいたく憤激し、突嗟に殺意を抱き腹部に挾んでいたサック入りの刃渡十四・八糎の登山用ナイフ(昭和三十三年証第三百九号)を取出し、倒れた同人の頭部の方から中腰になつてその頸部を目がけて突き刺し、刺入口三・一糎、深さ約七糎の右頸総動脈を切截する致命傷を与えその反抗を抑圧したところ、同人がオーバーの左ポケットの上を左手で押えたので同所に金のあることを察知し、同人の手を払いのけてポケット内より同人所有の現金九百円を強取したが、その後間もなく同所において同人を右頸部刺創による出血の為死亡するに至らしめ

第二、長田博と共謀の上、昭和三十二年十一月二十六日午前零時半頃、同区太子堂町四百三十八番地所在文化マーケット内刃物商鈴木徳之助方において、同人所有の登山用ナイフ四丁他庖丁等三点(時価合計三千七百五十円相当)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為中第一の強盗殺人の点は刑法第二百四十条後段に、窃盗の点は同法第二百三十五号第六十条に各該当するところ、判示のような犯行の動機態容、被告人の経歴、性格等諸般の情況に鑑み強盗殺人罪については無期懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十六条第二項により他の刑を科せず被告人を無期懲役に処し、押収にかかる登山用ナイフ一丁(昭和三十三年証第三百九号)は判示第二の犯行により得た賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから刑事訴訟法第三百四十七条第一項により被害者鈴木徳之助に還付し、訴訟費用については被告人が貧困のためこれを納付することのできないことが明らかであるから同法第百八十一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

なお判示第一の事実につき被告人及び弁護人は、被告人が被害者森美貴雄の頸部を突き刺した際には同人を殺害する意思がなかつた旨主張するのであるが、被告人は本件捜査当初から被害者の頸のつけ根を登山用ナイフで突き刺した旨を供述しており、また判示のように右登山用ナイフは刃渡十四・八糎のものであつて、これによる致命傷は深さ七糎に達するばかりでなく、荒井岩雄巡査撮影の写真第三葉、被害者の屍体鑑定書によれば、被告人は右兇器によつて被害者の頸部に更に二個の切創を与えていることを認めることができかかる情況よりすれば被告人は容易に致死の結果を招来すべきことを十分認識し殺意を以て被害者の頸部をねらい登山用ナイフで突き刺したものと推断するのが相当であるから、右の主張は採用しない。

次に弁護人は、被告人は当初から強盗の意図を以て被害者に致死の結果を生ぜしめたものではないから強盗殺人罪を構成しない旨主張する。しかし、恐喝罪強盗罪はひとしくいわゆる奪取罪に属するものであつて両者の区別はただ法益である財産に対する侵害の手段を異にするにすぎないものであるから、当初喝取の意思をもつて犯行に着手した者が金員奪取の意思を持続しつつ事情の推移に伴い相手方の反抗を抑圧する程度の暴行又は脅迫の手段にでるに至つたときは恐喝行為から強盗行為に移行したものとして強盗罪が成立することは当然である。しかしてこの理は事情の推移に伴いさらに新たな動機原因が加わつて右の反抗抑圧程度の暴行又は脅迫の行為がなされたばあいも同様と解すべく、それがため相手方を死に致したときは刑法第二百四十条後段の罪が成立するのであつて、このばあい殺害行為と金員奪取とを分別して論ずべきではない。いま本件についてみるに、判示のとおり被告人は当初被害者から金員を喝取する意思で行動するうち被害者の反撃に憤慨し前示爆発性の性格傾向も原因して突嗟に手段を変え殺害行為に及んだものであり、しかもその場で直ちに金員を奪取したものであつて右奪取行為は依然当初の意思の持続によるものであることが認められるから叙上説示したところにより被告人につき強盗殺人罪が成立するものといわなければならない。被告人は当公廷で、被害者を突き刺したときは金員奪取の意思は念頭になかつたしまた被害者を突き刺した後その場から二、三歩去りかけて引返し然る後判示金員を奪つたものであると供述するが、判示のような経緯から被害者を殺害するに至つた被告人が殺害行為時における精神的緊張、感情的興奮のため殺害行為を金員奪取のための手段に用いるということを改めて瞬間意識の上に表象しなかつたとしても当初の金員奪取の意思の持続性を害するものではなく、したがつて仮に被告人が相手方に殺害行為を加えた後二、三歩その場を去りかけた事実があるとしても本件奪取行為は殺害後新たに生じた全く別個の意志にもとづくものとはいい得ないのみならず、被告人は司法警察員、検察官の取調に対しては、被害者の頸部を突き刺した後、これに、続いて金員を奪取した旨供述し、また佐々木正夫の検察官に対する各供述調書によつても、同人が被害者を投げ飛ばしてから被告人と共にその場を立去るまでの間被告人は引き続き被害者の上に覆いかぶさるようにしており、同人が被告人を被害者から引き放した際被告人が被害者のオーバー左ポケットから手を引き抜いたというのであつて、結局被告人が相手方に殺害行為を加えた後二、三歩その場から立ち去りかけた事実もこれを認めることができないから、弁護人の右の主張もまた採用することができない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 岸盛一 目黒太郎 千葉和郎)

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